kokachannel

定年間近の高校英語教師の雑記帳です

外国人が漢字を学ぶと

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面白いことがありました

先週、英語の教員としてとても興味深く思うことがあったので報告します。

 

私が勤務している学校には、テキサス出身のMさんと、フランス出身のCさんと、二人の外国人がいて、英語の授業をヘルプしてくれています。

二人も外国人がいるなんて、公立高校としてはなかなか贅沢です。

 

テキサス出身のMさんは来日して2年と少し。日本語は日本に来てから初めて触れました。でも、普通に会話をする分には特に支障はありません。一方、フランス人のCさんは日本に来て1年あまり。ラーメン屋さんでアルバイトをした経験もあり、日本語はけっこう堪能です。

 

で、この二人、空き時間には漢字の勉強をするなど、日本語のブラッシュアップに力を入れています。現在の日本語力と、英語を使えばそれほど不自由しなくても暮らしていけるだろうに、一生懸命に学んでいる姿を見ると「君たち偉いね!」と素直に思います。

 

言語間の距離ってのがあるそうです

 「英語は難しい」とか、「日本語はとても難しいことばだ」とか言うことがありますが、どうなんでしょうか。一つ一つの言語に、簡単か難しいかということはあるのでしょうか。

 

それはないと思います。

だって、現実にその言語を母語として日常的に不自由なく使っている人がいるのですから。その人たちは生まれた時からその言語の中にどっぷりつかって、「学んでいる」という感覚もなく自然にマスターしたはずですよね。

 

ですから、日本語は世界の言語の中で特に難しい言語だ、ということはないと思います。言うなら、「日本語と英語は言語間の距離が遠いので、それぞれを母語としている人たちがお互いの言語を学ぶのは骨が折れる」ということだと思います。

 

「言語間の距離」って何?と思いましたか?

それはつまり、こういうことです。

 

例えば、日本語と中国語を考えた場合、共に漢字を用いますよね(中国の漢字は簡体化されていたり、日本には国字というのがあるけれど、だいたいにおいて)。ですから、文字情報という観点からいうと、お互いになんとなくわかります。

この場合には、「日本語と中国語とでは、文字の面では言語間の距離が近い」と言えますね。

 

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もう一つ例をあげましょう。

日本語で「私は日本人です」というのを韓国(朝鮮)語では「チョヌン イルボンサラム イムニダ」と言います。「チョ」は「私」、「ヌン」は「は」、「イルボン」は「日本」、「サラム」は「人」、「イムニダ」は「です」にあたります。

つまり、

私   は   日本   人   です

チョ  ヌン  イルボン サラム イムニダ

ということで、語順が全く同じなのです。この場合、「日本語と韓国(朝鮮)語は言語間の距離は近い」と言えそうですね。

 

この「言語間の距離」という観点からいうと、日本語と英語はずいぶん遠いと感じられます。使い文字も異なりますし、文法も、発音も異なります。ですから、日本語の母語話者が英語を、またその反対に英語のネイティブが日本語を身につけようとするとかなり困難だ、ということになりそうです。

 

あなたは漢字を何文字知っていますか

特に、日本語には3種類の文字の系統があることが、習得をより困難にしていると言われています。もちろん、「ひらがな」、「カタカナ」、「漢字」です。アルファベットに比べると、数も圧倒的に多いし、その使い分けも紛らわしいです。一つの漢字に何通りかの読み方があることも普通ですよね。

 

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そんな3系統の文字を、われわれ日本人は何とも器用に使い分けているわけです。これはひとえに小学校からの国語教育のたまものでしょう。小学校6年間でひらがなとカタカナ、そして約1000の漢字を身につけるのです。

 

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あなたは、漢字を何字知っていますか?

 

約2000ある「常用漢字」を身につければ新聞が読める、つまり日常生活には全く支障がなくなると言われていますよ。

(ちなみに、日本で最大の漢和辞典である「大漢和辞典」(全15巻)には約50000字が収められているそうです)

 

さて、どんな漢字を書いたでしょう

話を元に戻しましょう。

そう、私が面白いなあと思った出来事です。

 

MさんとCさんが、同じ漢字のプリントを用いてしばらく勉強した後で、Cさんが「Mさん、もう覚えた?」と聞くのです。(二人は英語と日本語のちゃんぽんで会話をしていたのですが、ここでは日本語で書いていきますね)

M「大体覚えたよ。」

C「じゃあ、クイズをしましょう。問題を出すよ。」

M「いいよ。自信があるよ。」

C「『じぶん』って書いてみて。」

M「オッケー。」

・・・と言って彼女が書いたのは、どんな漢字だったと思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Mさんは「『目』分」と書いたのです。

C「んー、ちょっと違うかなー。」

横で見ていた私「ちょっと違うなー。惜しいなあ。」

C「私、書けるよ。こうでしょ?」

・・・と言ってCさんが書いたのは、どんな漢字だったと思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Cさんは「『白』分」と書いたのです。

私「それもちょっと違うなー。」

C「あー、わかった、こうでしょ?」

・・・と言ってCさんが再び書いたのは、どんな漢字だったと思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Cさん、今度は「『百』分」と書いたのです。

私「Cさん、離れちゃったよ。」

C「えー、違うの??」

 

興味深く考えたこと

 いかがでしたか。

 このことを通して、私は、英語のネイティブがどんなふうに漢字を見ているのか、いや、英語のネイティブに漢字がどんなふうに見えているのか、少しわかったような気がします。日本人が漢字を見た時とは、どうも異なる感覚を持っているみたいですね。

 

日本人が漢字を目にすると、おそらくパっと見た瞬間にその「意味」が脳裏に浮かぶのではないでしょうか。それに対して英語のネイティブたちは、「漢字の形」もしくはその「パーツ」に目が行くように思えます。

 

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世界中には何千という言語が存在しますが、英語以外の母語話者が漢字を見るとどう反応するのか、知りたくなってきました。東アジアでもヨーロッパでもない地域の、漢字ともアルファベットとも異なる文字を使っている人たちに、「漢字はどう見える?」と聞いてみたくなりました。ひょっとすると、文字を使わない言語もどこかに存在するかもしれません。そんな言語を使っている人たちは文字に対してどんな反応をするのでしょうね。想像するだけでも楽しくなってきませんか。

 

ということで、今日は英語の先生らしく、言葉の話題でした。

 

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